「終わりから見る今」 02.04.14 ダニエル12:1〜4,
ヘブライ11:1
私たちは、「その時」に目を向けて生きます。その時とは、
「救われる。地の塵の中から目覚める。永遠の生命に入る。
大空の光のように輝く」時です。
私たちは、目の前の事柄だけにしか目を向けられない存在ではありません。
見えない事実を確認する信仰(ヘブライ11:1)を与えられているからです。
その時を見据えながら、命を与えられ生かされている「今の時」を生きます。
だからこそ、どんなことがあっても生き抜くことが出来ます。
ダニエル書には、王さまを拝むことを拒んだことにより、火の中に投げ込まれた
3人の人の話(3章)や、禁止されていた神への祈りを続けたことで、ライオンの
洞窟に投げ込まれたダニエルの話(6章)があります。
いずれも、神によって救われますが、彼らはどうしてそんな危険を冒してまで
神に誠実であり続けることが出来たのでしょうか。
それは、神への深い信頼と、「その時の救い」を見る目があったからです。
そこから、誠実さや毅然とした態度が生まれます。
ダニエルは迫害の予告を語りますが、信仰者がそこでなお生き抜くために
「その時の救い」を語ったのです。
「その時」に救われるあなたとして、「今」を生きてほしい、と私たちも迫られて
います。
今の喜びや悲しみは、「その時」に続いていくものです。ですから、
たとえ今どんな悲しみと出会ったとしても、それは将来の救いに
続いていくものだと知らされます。悲しみは終着点ではないからです。
そして、救いに続いていくことであれば、無意味な悲しみではないことにも
気づかされます。
そんな、終わりの時を見据える信仰の目を与えられて、私たちは、今を
生きています。
「その時は、はっきりと知ることになる」との、み言葉があります(Tコリント13)。
うれしかったこと、辛かったこと。それらの出来事が、救いにつながる大切な
事柄であったことが、はっきりわかる時がくるのです。
それを知っています。このことは、大きな恵みです。